2011年4月15日金曜日

飯舘村のみなさん

3月15日の2号機圧力抑制室破裂による放射能雲の放出、当日の風向きと降雨によって高濃度汚染にさらされた飯舘村における今中哲二(京大原子炉実験所)助教らによる(村役場と一緒に行なった)放射能自主測定の報告、飯舘村のみなさんと20年間村づくりをしてきた糸長浩司(日本大学生物資源科学部)教授ら「飯舘村後方支援チーム」の活動について、福島県内小学校での放射能自主測定活動と行政への要請などについての4月13日衆議院院内集会での報告会の様子(ストリーミング放送)です。

原発震災から子どもたちを守れ!~専門家・市民による独立放射能汚染調査報告と要請~

前半に県内小学校での放射能自主測定活動、後半が飯舘村における汚染状況と「後方支援チーム」の活動、復興支援プランなどについての説明になります。特に20年にわたって飯舘村とともに村づくりを伴走してきて、エネルギー自給も部分的に実現し、他の地域がライフラインが途絶えた時も飯舘村の老人ホームなどは基礎的な部分では困らなかったことなどには感動させられます。
しかし、原発事故はそのような村づくりを「目に見えぬ汚染」によって根底から破壊してしまったわけです。村の七割が里山で、キノコ類を含めて豊かな生態系が残っているのですが、土壌は汚染され、セシウム137は今後百年間は影響しつづけるでしょう。
今中哲二氏が「最後に個人的な見解」として述べています。「放射能の影響というのは急性と晩発性の二種類あるというのは学者ならみんな知っている。ところがテレビに出ている専門家と称する連中は急性の影響しかいわずにただちに健康に影響はないと言う。どうしたことかと耳を疑った。晩発性の影響の度合いについてはもちろん学問的な論争はありうるが、そもそも全くないかのようにしているのは故意か忘れたのかどういうことなのだろうか」と。

飯舘村周辺放射能汚染調査チーム暫定報告(PDF)

飯舘村までいな暮らし普及センター
までいライフ宣言
「までい」という言葉は「じっくり」「心をこめて」という意味だそうです。飯舘村と飯舘村企業組合の公式サイトです。こういう営みを押しつぶした力、それを推進してきた連中こそ「合法暴力装置」というのでしょう。

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