映画・映像と

『原発避難区域は犬や牛の群れが闊歩する無法地帯に』
神保哲生氏が4月6日に福島第一原発から30キロ圏内から20キロ圏を通り1.5キロ圏まで取材したレポート。
宮台真司氏が「タルコフスキーの『ストーカー』という映画を思い出しましたね」とコメントしたが、まさしくそうですね。

タルコフスキー『ストーカー』1979
「ストーカー」というのは密猟者という意味だそうで、映画世界の中ではある日出現した「ゾーナ」という立ち入り禁止区域の奥にある「部屋」への案内人を意味する。その「部屋」では人間の望みがかなうといわれているが、同時に得体の知れない危険もあるらしい。『惑星ソラリス』(1972)では人間の深層の欲求というものがソラリスという惑星によって具象化されてしまうことによる個人の心理的葛藤を描いていた。主人公の死んだ妻「クリス」が具象化されて再び液体窒素を飲んで自殺し、復活する場面は物質と生命の妙なエロスを感じた(ソ連映画で!でも長尺でやっぱりソ連映画だ!とも思ったけど。時間の感覚が違うんだなたぶん。岩波ホールで瞬間寝ていた記憶がある)。『ストーカー』ではよりメタな「禁止区域」と「祈り」いうことになっている。ラストの少女のシーンは希望なのか絶望なのか、あるいはどちらも超えた「未来」なのか。
この映画の6年後にチェルノブイリ原発事故が起きて、「ゾーナ」は現実化してしまうのだが。
遺作『サクリファイス』(1986)では、核戦争が起こってしまったというニュースが流れる北欧の静かな村で黙示録的世界を表現していたけど。やはり祈るしかないのか。

『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』1985
森崎東監督、原田芳雄、倍賞美津子、泉谷しげるら出演の傑作。沖縄、原発、下請け労働、ジャパゆきさん……という数々のテーマを見事にエンターテインメントに結実させている。この映画で倍賞美津子は日本アカデミー賞主演女優賞をとったのだが、96年にビデオになったきりでDVD化はされていない。誰が止めているのか。レンタル落ちをオークションで買いましたよ。
原発ジプシーとなった教え子を追った元教師(平田満)が防護服を着てマスクをかぶり、主観移動カメラで呼吸音がだんだん荒く聞こえるシーン(『いちご白書』で鎮圧にあたる州兵を同じように描いていたことを思い起こす)など印象的なシーンが多いが、泣けるのは原発の見える浜辺で倍賞とフィリピン人の女の子と「あいちゃん」がたき火をするシーン。「あいちゃん」はお世話になった原発ジプシーのおっちゃんたちの名前を延々と告げるのである。この瞬間に私たちは私たち(の生活)が踏みつぶしているものを固有名詞としてとらえることを「強制」される。「あいちゃん」の優しい声とたき火と、遠景にある原発のショット。

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