2011年3月29日火曜日

卒園式にて

3月26日、2歳の娘の通っている保育園で卒園式がありました。園庭には光があふれていて、強めの風が時おり吹いていました。年長さんから2歳児のクラスまで、リズム体操が披露されて、卒園児たちは力一杯跳び箱に挑戦していて、思わず笑ってしまう場面も多くありました。
しかし、明るい園庭が眼に入ってくると、その大気中には放射性核種のチリが舞っていることを思いだし、うつむいてしまうのでした。
もうわたしたちは震災に続く福島第一原発事故の前の世界とは違う時代を生きています。

思えば何度もこのような人災を起こさないような社会にする機会はあった。1986年のチェルノブイリ、1979年のスリーマイル。しかしわたし(たち)は失敗してきてしまった。

もっと射程を長くとって、1968~69年、1945年、1918年.....。時々、それぞれの機会で違った社会ができた後の人類の姿を想像する事があります。
しかし、ともかく現存する社会はこのような社会であって、それを前提にして生きていくしかないのですよね。それに、世界大の機会だけでなく、諸個人の直面するあらゆる機会で悪戦苦闘した先人たちの努力があったからこそ、まだ滅亡にいたっていなかった、といえるのかも知れません。

中学高校から愛読してきた安部公房経由で知った魯迅の「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるに相同じい」という言葉を思い出します。
いずれにしろ、これから「生きるための戦略・戦術」を個人・家族・任意集団・地域・社会……で共同して練っていくしかないではありませんか。あらゆる知恵を出し合って。「いま・ここ」からしかはじまらないのですから。

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